一体は即全体にして迷悟なし。我、身の程を知らず。
  
宗源寺参禅会のご案内
 人生に愛想を尽かし、生きていることが馬鹿馬鹿しくなった人、自ら命を絶つ前に参禅してみませんか。人生を生まれ損のくたびれもうけで終わらせてはなりません。わたしはどうすることもできない絶望のどん底で転機を迎えました。
老い病み滅ぶ人並みの暮らしに満足のできない人、仕方がないと諦めてしまっている人、自分の歩むべき道を探し求めている人も参禅しましょう。
 難行苦行に見切りをつけたお釈迦様は坐禅をされ、逃れがたく避けがたい苦厄災難から解脱し、完成された本来の自己に目覚められました。
自らの本分に目覚められたお釈迦様は、不死の境地を見ずに百歳生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうが勝れていると言われております。
 人間は鶴でもなければ亀でもありません。アリでもなければキリギリスでもありません。千年も万年も限りないものからすれば無に等しいものです。
黙々と働いてただ生きるだけならアリと変わりませんし、楽しみを追い求め、趣味や道楽に埋没してしまうのは、自らを馬鹿にし、自らを落としめることです。
 生態系の頂点に君臨するのが人間であり、時代の最先端にある現在の人間以外に自らの本性を悟ることが出来るものはおりません。
人間が人間でおれる時間は限られていますし、人間も多くの時間は生活のために費やさねばなりません。人間が人間らしくしておれる時間はきわめて短いのです。
 参禅とは、坐禅を行じ自己の何たるか、生死の何たるかを参究することです。
たいていの人が人の命は尊いと言われます。また、人間は高等動物とも霊長類とも言われているようですが、一体、自分のどこが尊いのでしょうか、人間のどこが高等なのでしょうか。他の生き物と同様、何も知らずに生まれ、右往左往を繰り返し、結局は何もわからないまま亡くなって逝く人がほとんどだと思います。
塩気のない塩は塩といえません。人間には人間としての面目があります。
生きていることが馬鹿馬鹿しく思える人は、是が非でも人間としての面目を発揮し、本来の面目を現してください。人が人としての面目を発揮しないのは面目のないことです。
 わたしは向上を求める人の手掛かり足掛かりになれればと願って参禅会を発足しました。当参禅会は一人でも多くの人に参禅していただき、それぞれ自らの尊厳に目覚め、人生が貴重なものであることを自覚していただくことを当面の目標にしております。わたしは参禅者に、坐り損のくたびれもうけで終わって欲しくはありません。三日坊主と宗教の悪用を予防する為、当参禅会は会員制といたします。
 当参禅会は志を明確にし、会則を尊重する人物のみ入会を認め、参禅を受け付けます。


    
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